年末年始でもマジックネタに困っているカナ師匠です^^;
何か書くことないかな〜と思ってて、ふと、秋田でマジックしていたときのことを思い出したので、何回かに分けて秋田でマジックしていたときのことを赤裸々に書こうと思います^^
つまらない昔話ですがどうぞお付き合いください^^
さてさて、僕がマジックを知ったきっかけはコロコロコミックでした。デュエルマスター(はじめはマジックの漫画だったんだよ)で《天秤/Balance(4ED)》とか《怨恨/Rancor(ULG)》とかがまばゆい閃光を発しながら詠唱されていました。
このとき僕中学3年生。
これがMagic the Gatheringとの最初の出会いでした。
マジックのエキスパンションはウルザ−マスクス−6thの頃で、ちょうどプロフェシーが発売されたときでした。
そして、マジックを友達がやっているということを聞いて、仲間に入れてもらうことにしました。ちなみに、この中で今でもマジックをやっているのは僕だけです。
初めて使ったデッキは黒単でした。
といっても、《強迫/Duress(USG)》も《のたうつウンパス/Thrashing Wumpus(MMQ)》も《ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator(UDS)》も入っていません…。
《暗黒の儀式/Dark Ritual(MMQ)》くらいしかトーナメントで使えるカードは入っていなかったです。
その後、友達が何人かマジックから離れ、僕もかなり飽きてきた頃、友達がインベイジョンのプレリリースパーティに行こうと誘ってきました。
これがマジックに飽きてた僕に再び火を付けることになったのです。
初めての公式戦。
このとき、僕のルール理解度は、
「しーるどせんてなに?」
「アンタップした後にドローするんだ!」
とこんな状態です^^;
もちろん、筆記用具もライフカウンターも用意せずに…。
こんなやつがまともにシールドのデッキなんか組めるわけもなく…、
シールドデッキ60枚で組みました…。
確か、黒赤緑だったかな?
《苦悶の死/Agonizing Demise(INV)》が2枚、《煽動するものリース/Rith, the Awakener(INV)》、《サーボ・タヴォーク/Tsabo Tavoc(INV)》なんかがあって、結構強いパックだったと思います。今、思えばですけどね…。
さすがにこんなデッキで勝てるわけもなく、1−3でした。
でも、1回勝ったときはとにかくうれしかったのを今でも覚えている。
このとき、初めて、このゲーム楽しいって思いました。
そして、月日は流れ…、
プレンシフトが発売され、僕は高校受験が迫っていた頃、ギャザで日本選手権予選の文字を見つけました。
「仙台であるんだ〜。お!受験終わってる!行きたいな〜〜」
ということで、はがきを出すことにしまいした(この頃ははがきで予約しないと出られなかったですね)
無事、予約もでき、試験も終わり(といっても合格発表はまだでしたが…)、大会前日、友達に調整に付き合ってもらいました。
しかし、調整といって友達が出してきたデッキは…、
ステイシス
…。
調整ならないじゃん!!!
その後、ターボジョークルでコテンパンにされるも、デッキはひとまず完成。
できたデッキは青黒マーセナリー…。
確か、レアなんて1枚も入っていなかった気がする…。ましてや《塩の湿地/Salt Marsh(INV)》も…。
ちなみに青のカードは《はね返り/Recoil(INV)》と《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》と《ヴォーデイリアのゾンビ/Vodalian Zombie(INV)》だけ…。
何でマーセナリーかというと、マジック始めたころから使っていたから。好きだったんですよ、傭兵デッキが…。
そして《暗黒の儀式/Dark Ritual(MMQ)》が…。
そして、大会当日、朝4時半に起きて、親に隣町まで車で送ってもらって(そうしないと、開始時間に間に合わなかったのです。秋田で一番仙台に近いところに住んでいたんですけどね。秋田の交通事情なんてこんな感じなんですよ。)一人仙台へ。
まず、会場に行ってビックリしたこと、
みんなデッキをプラスチックのケースに入れてる…。
ちなみに何に入れて行ったかというと、小さなお菓子の箱…。
その中にデッキを大事にしまっていつも持ち歩いていました…。
ライフカウンターもダイヤル式のやつじゃなく、おもちゃのメダルゲームの金と銀のコイン…。
ちなみにスリーブは持っていました!
透明の安っぽいやつですけどね^^;
そんな《ショック/Shock(6ED)》をうけつつ、大会の開会式が始まりました。
ジャッジ「何か質問はありますか?」
参加者A「今日のルール適応度はいくつですか?」
ジャッジ「5です。」
参加者全員「おお〜!!!」
僕「?」
^^;
こんな感じで始まった僕の始めての公認大会の構築戦。
初めての相手をレーティングヒストリーで見てみると、ナカジマさんと書いてあります。
PWCの主催者の方と同じ名前です。
たぶん…、同じ人だと思います。
そんなことなどまったく知らずゲームが始まりました。
相手のデッキは当時最速のデッキであったファイヤース。
無論、勝てるわけもなく…。
そして、その後も順調に負けていくわけです…。
6回戦までやって、
「もうかえりたいよ〜〜〜〜」
と思って、ジャッジステーションの辺りにいると、
参加者B「ジャッジ、ドロップします」
僕「!?」
そのときまで、大会をドロップできるということを知りませんでした^^;
結果0−6でドロップ。
後にも先にも、6回も負けた大会はこれだけですね。
ちなみにゲームの勝敗は1−12です。
1回だけ勝ったんですよ!ファイヤースに!!!
可能な限りの自分に都合のよい回りと、相手の都合の悪い引きで!!!
^^;
こういうのを奇跡って言うんでしょうね。
こうして僕の始めての構築戦は終わったのでした。
そういえば、この大会、初めてカウンターを使った大会でした。
(別にまだこのとき今みたいにカウンターと聞くと目の色変えて騒いでたわけじゃないですよ。)
サイドに入れていた《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》を一回だけネザーゴー相手にサイドインしました。
そして、僕が始めて《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》を撃った呪文は!!!
《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》^^;
そしてその撃った《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》は《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》されてしまうのでした…。
カナ師匠の初めてのカウンター合戦は失敗に終わったわけです(笑)
負けてしまったけど、大会に出る楽しさみたいなものを味わいました。そして僕の中で何かが変わった大会だったかもしれません。
こうして、僕の中でファイレクシア病は少しずつ、進行していったわけです^^;
To be continued
ノシ
何か書くことないかな〜と思ってて、ふと、秋田でマジックしていたときのことを思い出したので、何回かに分けて秋田でマジックしていたときのことを赤裸々に書こうと思います^^
つまらない昔話ですがどうぞお付き合いください^^
さてさて、僕がマジックを知ったきっかけはコロコロコミックでした。デュエルマスター(はじめはマジックの漫画だったんだよ)で《天秤/Balance(4ED)》とか《怨恨/Rancor(ULG)》とかがまばゆい閃光を発しながら詠唱されていました。
このとき僕中学3年生。
これがMagic the Gatheringとの最初の出会いでした。
マジックのエキスパンションはウルザ−マスクス−6thの頃で、ちょうどプロフェシーが発売されたときでした。
そして、マジックを友達がやっているということを聞いて、仲間に入れてもらうことにしました。ちなみに、この中で今でもマジックをやっているのは僕だけです。
初めて使ったデッキは黒単でした。
といっても、《強迫/Duress(USG)》も《のたうつウンパス/Thrashing Wumpus(MMQ)》も《ファイレクシアの抹殺者/Phyrexian Negator(UDS)》も入っていません…。
《暗黒の儀式/Dark Ritual(MMQ)》くらいしかトーナメントで使えるカードは入っていなかったです。
その後、友達が何人かマジックから離れ、僕もかなり飽きてきた頃、友達がインベイジョンのプレリリースパーティに行こうと誘ってきました。
これがマジックに飽きてた僕に再び火を付けることになったのです。
初めての公式戦。
このとき、僕のルール理解度は、
「しーるどせんてなに?」
「アンタップした後にドローするんだ!」
とこんな状態です^^;
もちろん、筆記用具もライフカウンターも用意せずに…。
こんなやつがまともにシールドのデッキなんか組めるわけもなく…、
シールドデッキ60枚で組みました…。
確か、黒赤緑だったかな?
《苦悶の死/Agonizing Demise(INV)》が2枚、《煽動するものリース/Rith, the Awakener(INV)》、《サーボ・タヴォーク/Tsabo Tavoc(INV)》なんかがあって、結構強いパックだったと思います。今、思えばですけどね…。
さすがにこんなデッキで勝てるわけもなく、1−3でした。
でも、1回勝ったときはとにかくうれしかったのを今でも覚えている。
このとき、初めて、このゲーム楽しいって思いました。
そして、月日は流れ…、
プレンシフトが発売され、僕は高校受験が迫っていた頃、ギャザで日本選手権予選の文字を見つけました。
「仙台であるんだ〜。お!受験終わってる!行きたいな〜〜」
ということで、はがきを出すことにしまいした(この頃ははがきで予約しないと出られなかったですね)
無事、予約もでき、試験も終わり(といっても合格発表はまだでしたが…)、大会前日、友達に調整に付き合ってもらいました。
しかし、調整といって友達が出してきたデッキは…、
ステイシス
…。
調整ならないじゃん!!!
その後、ターボジョークルでコテンパンにされるも、デッキはひとまず完成。
できたデッキは青黒マーセナリー…。
確か、レアなんて1枚も入っていなかった気がする…。ましてや《塩の湿地/Salt Marsh(INV)》も…。
ちなみに青のカードは《はね返り/Recoil(INV)》と《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》と《ヴォーデイリアのゾンビ/Vodalian Zombie(INV)》だけ…。
何でマーセナリーかというと、マジック始めたころから使っていたから。好きだったんですよ、傭兵デッキが…。
そして《暗黒の儀式/Dark Ritual(MMQ)》が…。
そして、大会当日、朝4時半に起きて、親に隣町まで車で送ってもらって(そうしないと、開始時間に間に合わなかったのです。秋田で一番仙台に近いところに住んでいたんですけどね。秋田の交通事情なんてこんな感じなんですよ。)一人仙台へ。
まず、会場に行ってビックリしたこと、
みんなデッキをプラスチックのケースに入れてる…。
ちなみに何に入れて行ったかというと、小さなお菓子の箱…。
その中にデッキを大事にしまっていつも持ち歩いていました…。
ライフカウンターもダイヤル式のやつじゃなく、おもちゃのメダルゲームの金と銀のコイン…。
ちなみにスリーブは持っていました!
透明の安っぽいやつですけどね^^;
そんな《ショック/Shock(6ED)》をうけつつ、大会の開会式が始まりました。
ジャッジ「何か質問はありますか?」
参加者A「今日のルール適応度はいくつですか?」
ジャッジ「5です。」
参加者全員「おお〜!!!」
僕「?」
^^;
こんな感じで始まった僕の始めての公認大会の構築戦。
初めての相手をレーティングヒストリーで見てみると、ナカジマさんと書いてあります。
PWCの主催者の方と同じ名前です。
たぶん…、同じ人だと思います。
そんなことなどまったく知らずゲームが始まりました。
相手のデッキは当時最速のデッキであったファイヤース。
無論、勝てるわけもなく…。
そして、その後も順調に負けていくわけです…。
6回戦までやって、
「もうかえりたいよ〜〜〜〜」
と思って、ジャッジステーションの辺りにいると、
参加者B「ジャッジ、ドロップします」
僕「!?」
そのときまで、大会をドロップできるということを知りませんでした^^;
結果0−6でドロップ。
後にも先にも、6回も負けた大会はこれだけですね。
ちなみにゲームの勝敗は1−12です。
1回だけ勝ったんですよ!ファイヤースに!!!
可能な限りの自分に都合のよい回りと、相手の都合の悪い引きで!!!
^^;
こういうのを奇跡って言うんでしょうね。
こうして僕の始めての構築戦は終わったのでした。
そういえば、この大会、初めてカウンターを使った大会でした。
(別にまだこのとき今みたいにカウンターと聞くと目の色変えて騒いでたわけじゃないですよ。)
サイドに入れていた《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》を一回だけネザーゴー相手にサイドインしました。
そして、僕が始めて《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》を撃った呪文は!!!
《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》^^;
そしてその撃った《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》は《対抗呪文/Counterspell(MMQ)》されてしまうのでした…。
カナ師匠の初めてのカウンター合戦は失敗に終わったわけです(笑)
負けてしまったけど、大会に出る楽しさみたいなものを味わいました。そして僕の中で何かが変わった大会だったかもしれません。
こうして、僕の中でファイレクシア病は少しずつ、進行していったわけです^^;
To be continued
ノシ
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